偉大な牛

田上嘉一超公式ブログ

僕の愛車遍歴

まだまだ寒い2012年の2月頭に、僕はロンドンから東京に帰ってきた。1年半に渡るロースクール留学と法律事務所での研修を終えた僕は、それまでの貯金をすっかり使い果たしていた。だから、まず東京での生活セットアップするのに暫くの間耐え忍ばければならなかった。

そうはいっても、小さな子供もいるし、何かと便利だった目黒区から、少し離れた郊外に住むことになったので、買い物や公園に行くのにクルマは必要だ。加えて、厚木の実家にたびたび帰ったり、家族で旅行に行くこともあった。その度にレンタカーを借りていて、それはそれで楽しいこともあったが、反面面倒くさかった。クルマを買おうにも僕の住んでいた小さなアパートの敷地内に駐車場はなかったし、近隣で借りるのも(以前やったことがあるが)、重たい荷物があるときなど大変な手間だ。何より僕は自分のクルマがない状況に満足していなかった。

そうこうするうちに、翌年の3月に新しい家に引っ越すことになった。そろそろクルマを買おうということになっていたので、今度は駐車場のあるマンションを借りた。引っ越してから2ヶ月後。僕はクルマを買った。

買ったクルマはマツダアクセラスポーツ。しかも2.3リッターターボで264馬力の最強モデルだ。

 

僕はこれまでマニュアルのスポーツカーを乗り継いできた。司法修習生のときに、高知で乗っていたのが白い180SX。生まれて初めて買った自分のクルマだったのでとてもうれしくて、高知中を走り回っていたのだが、買って2週間後に峠道の壁に刺さってしまった。その後もしばらく乗っていたが、動かなくなってしまったのでしかたなく手放した。

その後、弁護士になってから買ったのが白いマツダRX-7FD3S)の後期型だった。2005年の冬だ。これは本当にスパルタンなピュアスポーツカーで、なかなか日常の足にするにはしんどいクルマだったが、本当にかっこいいデザインで、よく自分のクルマに見とれていた。世界でロータリー・エンジンを採用しているのはマツダだけ、という孤高のスピリットにたまらなくしびれていた。

僕がこのクルマを買ったとき住んでいた武蔵小山のマンションには駐車場がなかったので、近くにある駐車場にRX-7を停めていた。当時はまだ弁護士に成り立てでとても忙しく、毎晩深夜のタクシーで帰宅していたが、それでも深夜にRX-7に乗って首都高を周回した。漫画の影響を強く受けていたが、とにかく自分のあこがれのクルマを乗り回すことが楽しかった。 

しかし、幸せなときは長く続かないものだ。このクルマも小田原厚木道路を走っているときに集中豪雨におそわれて、道路の継ぎ目でスリップし、壁に刺さってしまった。大破したRX-7はとても再び乗れるような状態ではないように見えたので廃車にするしかないと思っていたが、そこはクルマ好きの上司がいて、修理工場を紹介してくれた。このまま潰してしまうのはとても忍びなかったので、半年くらいかけて修復した。

その後、復活したRX-7のタイヤをインチアップしてホイールを交換したり(グラムライツのT57RC)、マフラー変えたり(HKSのサイレントパワー)、それなりに改造したりもした。そのたびに見た目がちょっと悪っぽくなっていき、僕はそんなRX-7で山道を走っているととても幸せだった。

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RX-7に乗っている間に、僕は結婚し、そして妻が妊娠した。さすがに妊婦がRX-7に乗り降りするのはしんどいし、子供が生まれればチャイルドシートやベビーカーを積まなくてはいけない。RX-7のことはとてもとても好きだが、けど家族には替えられないというわけだ。いよいよクーペのスポーツカーを卒業して、4枚ドアにしなくてはいけないときがきたのだ。

妻は僕がファミリータイプのミニバンかなにかを買うことを期待していたわけだが、僕が次の相棒に選んだのはスバルのインプレッサGDB・涙目)だった。2008年の年明けのことだ。僕はなぜかいつも冬にクルマを買い換える。妻の期待に答えられないのは申し訳なかったが、まだ30歳にもなっていなかった僕は普通のオートマ・セダンに乗る気はさらさらなかったし、乗るならスポーティでパワーのある速い車がよかった。

ランサー・エボリューションでもよかったのだけれど、エンジン横置きFFベースのランサーよりも、縦置きFRベースのインプレッサの方が僕にはかっこよく思えた。確かにラリーやダートラで速いのはランエボなのかもしれないが、伝統の高回転型水平対向エンジンに乗ってみたかったのだ。ロータリー・エンジンのときもそうだったのが、こういった記号的で象徴的な何かに僕はとても弱い。その意味で、僕は現代的な高度資本主義社会の模範的消費者である。

そして想定通り、いや想定以上にインプレッサは速かった。おそらく僕がこれまで乗ったどのクルマよりも速かった。右足に力を入れると、シートの後ろから思い切り蹴飛ばされるような暴力的な加速を楽しむことができた。しかも、同じ速さでもRX-7スケートリンクの上をつるつる滑っているようで、雨の日にちょっとでも気を抜くとどこかへ吹っ飛んでいきそうな怖さがあったが、インプレッサの4つのタイヤはどんなときでもがっちり路面を掴んでいる安心感があった。

サスペンションの調子がよくない気がして、オーリンズの車高調整サスペンションに変えてみたりもした。ダイヤルでダンパーの硬さを変更できるやつだ。大して意味のあることではなかったけれど、クルマに手を入れるのが素敵なことに思えた。

この頃の僕は、カート遊びをはじめたり、富士やもてぎまでSUPER GTを観戦しにいったりして、やたらとモータースポーツに興味を持っていた時期だった。だからインプレッサをリミッターカットして、筑波やFISCOで走らせたりもした。とても楽しかった。

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2010年の夏から僕はロンドンに留学することになった。インプレッサのことはとても気に入っていたのだけれど、さすがにロンドンに持っていくわけにもいかないし、1年以上も日本のどこかに置いておくわけにもいかない。しかたなくここでインプレッサとはお別れすることになった。

ロンドンではクルマは買わないつもりだったが、ひょんなことから知り合いに人がBMWの318を譲ってくれることになった。とても古くて塗装もはげていて、お世辞にもいい状態のクルマとは言えなかったが、それでもクルマがあるおかげで、ロンドン郊外にあちこち出かけられたのは素晴らしかった。イギリスの田舎の道というのは、それはそれは運転していて気持ちのいいものなんだ。ただ大雪の日にスタックしたり、車検が切れていることに気づかず反則金を取られたり、今となっては笑い話だが、慣れない異国の地でのトラブルには本当にまいった。

 

そうして、再び日本で2013年5月に、マツダスピードアクセラが僕の5番目の愛車となった。FFに乗るのは初めてだったが、とても切れ味のよいハンドリングと、ターボが聞いたときのパンチある加速は心地よい。なんとなくだが、座った感じやクルマのサイズなんかはインプレッサに近い気もする。しかしハッチバックなので、インプレッサよりも荷物は積める。家族で乗るにはちょうどいいクルマだった。

 

けれども、時は流れていく。すべては同じように見えて少しずつ変わっていくのだ。アクセラに乗ってから4年。再び僕ら家族のクルマに対する需要というものは変わってしまった。

昨年冬に家族がもう一人増えたし、やたらと買い込んだスノーピークのキャンプグッズを全部アクセラのトランクに詰むことはもはや限界だった。なんだかんだでおじいちゃんおばあちゃんを乗せることもあるし、長男のサッカーの試合のたびに他の友だちやその親たちを乗せる機会も多い。そんなときにアクセラでは、どうしても多くの人数を乗せられない(当たり前なのだけれど)。

これまでずっとこだわってMTのスポーツ車に乗ってきたが、僕もそろそろファミリーカーを選ばなければならないようなのだ。

2017年3月。

僕はまた冬(というか春だけど)にクルマを買い換えることを検討し始めた。

(続く)