偉大な牛

田上嘉一超公式ブログ

寛容性という名の非寛容性

行き過ぎたポリコレがトランプ政権を生んだのか 

先に行われたアメリカ大統領選挙では、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスに対する反発がその根底にあったと、一部で言われています。

そのことが本当かどうか、また本当だとしてもどこまで寄与したかどうかについては、アメリカに住んでいない私には到底知りようもないことですし、仮に住んでいたとしても実際のところはなかなか判断できないでしょう。それは多分に主観的な評価だからです。 

www.huffingtonpost.jp

ただし、このクリント・イーストウッドのようなことを感じている人たちは実際にいるんだろうなということは、想像することは可能です。

初詣ベビーカー騒動

さて日本でも、年始早々さっそくある騒動が巻き起こりました。

東京大仏で知られる板橋区乗蓮寺に「ベビーカー自粛」なる旨の看板があったことをもって、音喜多都議会議員が「なんと子育て世代にとって不寛容で不自由な社会なのかという想いです」と批難してみせたのです。 

otokitashun.com

これについては、乙武氏など「そうだそうだ」と同調する人たちがいたのですが、実際にはむしろベビーカーに対して優しい対応をしたお寺の善意につけこんで悪用した人たちなどがいたため、こういう看板を出さざるを得なかったということが、あとになってわかりました。

www.j-cast.com

このことを受けて、音喜多議員は謝罪をしたそうで、まぁひとまずこの件はこれで終了です。 

安全対策を徹底し、ベビーカー置き場も完備。「東京大仏」の乗蓮寺さまに、謝罪のため伺いました | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト

ハリウッド女優のスピーチにほの見えた差別の連鎖

mainichi.jp

そしてハリウッド女優のメリル・ストリープが、ゴールデン・グローブ賞の授賞式でトランプ大統領が差別的な人物であることに対して批判的なスピーチを行いました。

多くのメディアがこのことを好意的に取り上げ、さすが大女優、権力に屈することなく、己のリベラルな信念を述べたと絶賛の嵐でした。

しかし、スピーチの書き起こしをよく見てみると、その中には、次のような箇所がありました。

つまりハリウッドはアウトサイダーや外国人だらけなんです。もし、その人たちを追い出してしまったら、見るものなんてアメリカンフットボール総合格闘技ぐらいしかなくなります。けれども、それらは芸術ではありません。

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170110/k00/00e/040/236000c#csidx84a6cb7c8c751e095ab6595a6709103
Copyright 毎日新聞

この部分の発言には、 ストリープ女史の根底にある価値観、考え方が溢れ出てしまっています。差別を批判するそのスピーチのさなかに、こともあろうに別の差別意識が見えてしまっているという、あまりに戯曲的な光景でした。

なぜ何かを撃たなければ、反差別を訴えることができないのでしょうか。

寛容であれという命題には潜む自己矛盾

これらの一連の事象について私が思うのは、いわゆる「リベラル」と名乗る人々の非常に高圧的な非寛容性についてです。

彼らはリベラルを名乗りつつも、特定の価値観や思想を強烈に他人に押し付けてくることについてまったくためらいを見せることはありません。

子育て世代や身体障害者に対して寛容的であること、差別を行わないこと、それらはそれぞれに正しいことであって特に問題があるとは思えません。ぜひ寛容的で差別のない社会を作っていただければ結構なことであると思います。

しかし、なぜか時折このことをもって、突如として他人に対して攻撃的になる場面が見受けられるのです。敵を作っていきなり攻撃を開始してしまう。なぜ寛容性、多様性を訴える人たちが他人に対してかくも攻撃的な姿勢を見せるのか。

「ベビーカー自粛」というテキストを見た瞬間、「なんて非寛容的な」と最短距離で回路が接続され、攻撃態勢に入るまでほとんど暇がありません。動物的な反応とさえ言えるでしょう。

そもそも、「寛容であれ」「多様であれ」という命題には自己矛盾があるような気がしてなりません。自己が「他者に対して寛容になろう」「他者の多様性を認めよう」というのはわかります。しかし、この命題を他者に対して働きかけようとすれば、その事自体が寛容性や多様性を奪うことになりかねないからです。

これは「すべてのクレタ人は嘘つきだ」という自己言及のパラドクスにも似ていて、すでに命題自体が背理を生んでしまっているように思えます。

そのことに気づこうともしない人たちは、ますます他者に対する敵意をつのらせ、自己の信じる「正義」を貫こうとし、他人から反感を買って、結果として自分を見失っているのではないかと思います。

他者を攻撃することで、相対的に自己の地位が浮き上がり、優越的な快感を覚えることはよくあることですが、仮にも「リベラル」や「寛容」を旗印に掲げる人たちがそれでいいわけはありません。このことに対して自省的態度が取られない限り、リベラルは永久に敗北し続けることになるのではないでしょうか。

 

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FOX Newsのメーガン・マケインがストリープ女史のスピーチにこそ、トランプが勝利した原因があるという分析をツイートしたところ、

といったような状況になっておりまして、ひどく象徴的だなあと感じている次第です。

 

慰安婦像設置に対する日本の措置について

慰安婦像設置に対して日本が取った措置

今週とても大きく報道されたこの件ですが。

headlines.yahoo.co.jp

個人的な見解を先にいってしまえば、昨年に日韓で合意された、「最終的で不可逆的な」内容を反故にされたわけですから、こちらが遺憾に思っていることを示す意味でも、ある程度の対抗措置に出ることは相当の範囲内だと考えています。

  1. 長嶺大使、森本康敬釜山総領事の一時帰国
  2. 釜山総領事館職員の釜山市関連行事への参加見合わせ
  3. 日韓通貨スワップ(交換)協議の中断
  4. 日韓ハイレベル経済協議の延期

韓国国内の政治状況

もっとも、昨年の日韓合意については当初から韓国内で強い批判が出ていました。

gendai.ismedia.jp

すでに合意がなされて半年たたないうちにはこういった調子だったので、今回のような反応についてもある程度予想ができたことではあったのです。

そこへ来て、朴大統領のスキャンダルからの職務停止といったような危機的状況であれば、野党や反対勢力が勢いづくのはなおさらのことです。そういった意味では、これは日本に対する抗議という面もありつつ、韓国国内での政治闘争の一貫という面もあるのでしょう。

何よりも、もはや韓国では一部市民がある種の躁状態にあるので、なかなか政権によるコントロールが効かない状況なのではないかと推察します。

日本での議論は・・・? 

加えて日本国内でも、こういった対抗措置に対していろいろ批判が出ているようです。

たとえば、釜山総領事館前の慰安婦像は別という議論。

blogos.com

blog.goo.ne.jp

しかし、これはさすがに常識的に受け容れられないと思うんですよ。

 

   日韓合意で対象としたのはソウル大使館前に設置された慰安婦像だけ

  → その当時に設置されていなかった慰安婦像は対象外

  → だから別の場所に新しい慰安婦像を置くのは問題ない(キリッ

 

あまりに硬直的なロジックでセンスを感じません。

日韓合意で交わされたその形式面だけではなく、合意の本質的な要素を考えてみれば、両国間におけるこれ以上の議論を回避し、少なくとも大使館等の前に慰安婦像を置くようなことはやめよう、撤去するようにしようということだと思うのです。

それを、ソウルではなく釜山だからまったく別の話なんだというのは、いくらなんでも屁理屈というものでしょう。韓国政府ですらそんなことは恥ずかしくてとても言わないのではないでしょうか。それをわざわざこちらから提示してみせるのですから、なかなかすごいことです。

www.asahi.com

また、「韓国国内の政治状況に配慮して大人の対応を」といったような穏便路線の意見もよく耳にしますが、そういった状況であればこそ、新政権に向けての牽制球、メッセージとしてもある程度のプレイは必要だと思います。今、混迷を迎えている韓国内では、次の政権が反日方向でまとめていこうとする可能性もあり、それに対して日本の姿勢をはっきりと示しておくことは、外交の手法として考えられることでしょう。もちろん拳を振り上げながら片方の手は握手を求めていくという老獪さも必要だと思いますが、少なくとも子供じみた考えで当たり障りのないことをいってもあまり意味は無いと思います。

それにしても朝日新聞は一体どういった神経でこの件について報じているのでしょうか。その心理を知りたいものです。

韓国の普通の人はどう感じているのだろうか。

しかし、それよりも本当に知りたいのは韓国の一般的な人たちの温度感がどういったものなのかということです。

blog.livedoor.jp

あくまでネット上の情報なので正確なソースとはいえないのですが、存外こんなところが普通の感覚なのではないかと思います。

慰安婦問題については日本にもっと誠実な対応を求めたいという人はいるでしょうが、わざわざ国際合意に反して像を設置したいという人は少数派なのではないでしょうか。

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元はといえば、朝日の誤報から始まったものですし、いい加減この問題をいつまでも引きずるのはやめにして、両国間の発展的な未来についての建設的な議論をみたいものです。

 

 

 

はじめまして。

はじめまして。

 

弁護士の田上嘉一(たがみよしかず)と申します。

 

普段は弁護士をやったり、

弁護士ドットコムという会社で、ウェブサイトの企画・運営などをやったりしています。

それに加えて、たまにテレビやラジオで時事問題についてコメントをしたり、

また、Yahoo!ニュース個人で記事を投稿してたりしています。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

このブログでは、そんなテレビやラジオやYahoo!とはちょっと違った内容を綴っていこうと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。